Work, Death, and Sickness(仕事と死と病気)トルストイの民話から

2013.12.23 Monday

Work, Death, and Sickness(仕事と死と病気)
レフ・トルストイ作

北アメリカのインディアンに伝わるお話です。

人間はもともと、働くこともなく、家も、衣服も、食べ物もいらず、誰もが病気知らずで、100歳まで生きるように、神によって作られていたそうです。

あるとき神は、自分が作った人間はどうしているか、確かめにいきました。すると、人間たちは幸せではありませんでした。自分のことだけを考えて、互いに言い争っていたのです。人生を楽しむどころか、苦しんでいました。

神は、ひとりつぶやきました。「これでは人間は、てんでばらばらに生きるようになってしまう」そんな人間を正すために、神は人間に仕事を与えました。人間は、寒さや飢えをしのぐため、家を建て、土を耕し、果物や穀物を育て収穫し、働かなくては、生きていけないようにしたのです。

「仕事が、人間たちの絆となるだろう」神は、そう考えました。
「人間が道具を作ること。材木を切り出して運び、家を建てること。種をまいて、収穫すること。糸を紡いで、布を織り、服を縫うこと。どんな仕事も、人間ひとりの力ではできないことだ」
「人々が力を合わせて熱心に働けば、よりよく生きられることを人間は知るだろう。それが人間たちの絆となるだろう」

時が過ぎ、神は再び、人間はどうしているか、幸せかと、確かめにいきました。

しかし人間の生活は、前より悪くなっていました。人々は共に働いていました(でも、助け合うことはできなかったのです)。皆が一緒に働かず、小さなグループに分かれていました。それぞれのグループが、よそから仕事を盗ろうとし、お互いにじゃまをして争い合い、仲が悪くなっていました。

それを見た神は、もう一度人間を正すことに決めました。人間はいつ死ぬのか、わからないようにしたのです。そして、そのことを人間に伝えました。

「いつ、自分が死ぬのかわからなければ、よくばりな振る舞いで、いつ終わるかもしれない残りの人生を、台なしにすることもないだろう」そう神は考えました。

しかし、結果は逆でした。人々はどうなったか神が戻って確かめると、相変わらず人間の生活は悪いままでした。

一番強い者は、人間はいつ死ぬかもしれないことを、自分に都合よく利用して、弱い者を殺したり、殺すぞと脅したりしていました。それで、強い者とその子孫は働かず、弱い者たちは力の尽きるまで、休みなく働かされました。強い者と弱い者が、お互いに恐れ憎しみ合っていました。そして、人間の生活はますます不幸になっていったのです。

これらすべてをみた神は、最後の手段で、人間を正すことにしました。神はすべての種類の病気を人間に送り込んだのです。

すべての人間が病気にさらされることになったら、健康な人は病気の人を哀れみ、助けるようになるだろうと、神は考えました。そうすれば、誰もが自分が病気になった時には、人から助けてもらえるのですから。

そうして、神は再び人間のもとを離れました。そして、病気になった人間はどうしているだろうかと、神が確かめに戻ったとき、人間の生活は前よりもっと悪くなっていました。

神の考えでは、病気は、人間の絆となるべきものだったのに、人間は前よりばらばらになっていました。

力のある人間は、自分が病気になると人に世話をさせました。でも、自分が人の病気の世話をすることはありませんでした。強い者の世話をさせられる弱い者は、自分が病気でも休むこともできず、治療も受けられないのでした。

病気が、裕福な人の幸せを損なうことはなかったでしょう。しかし、家族を持つ貧しい人々は、思いやりや哀れみを受けることもなく苦しみ、死んでいったのです。

そのうえ人間は、病気がうつることを恐れて、病人だけではなく、看病する人さえも避けました。

神は、ひとりつぶやきました。「幸せがどこにあるのか、わたしのやり方で人間にわからないのなら、苦しみをもって人間に教えよう」神は人間のしたいようにさせておくことにしました。

すべての人間は幸せになるべきだし、なれることを、人間は長い間知らずに生きてきました。

でも、つい最近になって、わずかの人たちが知るようになりました。

仕事とは、奴隷に死ぬまでオールをこがせた中世のガレー船のように、恐れによって行われるものではなく、すべて人の絆となる、皆に共通の幸せな行いなのです。

死とは、いつも、わたしたちひとりひとりを脅かし続けるものです。だからこそ、すべての人間にとって、ただ一つの理にかなった仕事とは、死ぬまでに与えられた月日を、皆が心を合わせてひとつとなり、愛し合って生きていくために使うことなのです。

病気とは、人間をばらばらにするものではありません。人間が互いに愛し合い、共に助け合うために与えられた機会とすべきなのです。

Louise and Aylmer Maudeの英訳をもとに小坂直樹が試みに訳した)

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"Work, Death, and Sickness"は、仕事と死と病気は、なぜ人間にとって避けられないものなのかを語ったアメリカ・インディアンの寓話から、トルストイが再話した作品です。

トルストイ協会のページで文献検索すると、大正時代にいくつか翻訳されたきり、日本語訳がないようので、パブリックドメインの英訳をもとに訳してみました。(本当は原語のロシア語から翻訳できればいいのですけれど)

仕事も死も病気も、人間がばらばらになることなく結びつき、お互いの力を合わせて、幸せに生きるために、神から与えられたものなのに、人間は神の思いとは正反対の行いをして、自ら不幸になっているとこの話は説きます。

大正11年には、松本市の松本小学校の教員によって、この話のほか数点のトルストイの物語から手作りの副教材が作られたそうです。

このような話が日本では長く出版されることもなく、教えられることもない世の中になってしまったことが、過労死やブラック企業の蔓延につながっているのではないかとも、訳しながら思わされました。

誤字脱字、訳の誤りなどありましたら、ぜひご指摘ください。
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The Great Bear(おおぐま座(北斗七星)の由来)トルストイの民話より

2013.12.21 Saturday

弱き人の助けとなり
受けるよりも与えるほうが幸いです。
(新約聖書 使徒のはたらき 20:35より)


The Great Bear(おおぐま座・北斗七星)
トルストイの民話より

昔々のお話です。きびしい日照りが地球を襲いました。大きな川も、小川も、井戸も水が枯れ、大きな木も、低い木も、草たちもしおれていきました。人も、動物たちも、のどがかわいて死んでいきました。

ある夜、小さな女の子が病気のお母さんのために、水を汲むひしゃくを持ち、飲み水を探しに出かけました。あちらこちらをさまよい歩きましたが、水は見つかりません。疲れ果てた女の子は草の上に横になり、眠ってしまいました。

目を覚ました女の子が、ひしゃくを持ち上げると、水がこぼれそうになりました。ひしゃくは透き通ったきれいな水で、いっぱいになっていたのです。

うれしくなって、水を口にしようとしたそのとき、女の子はお母さんのことを思い出しました。そして、ひしゃくを持つと、全速力で家へと走り出しました。

とても道を急いでいたせいで、女の子は目の前を通る小犬に気つかずに、ぶつかってひしゃくを落としてしまいました。女の子がひしゃくに手を伸ばすと、小犬は悲しそうに鼻を鳴らしました。

水をこぼしちゃったと女の子は思いました。でも、ひしゃくは真っ直ぐに落ちていて、水は元のように入っていました。女の子が手のひらに少し水を注ぐと、小犬はそれをなめて元気になりました。そして、もう一度女の子がひしゃくを手に取ったとき、木のひしゃくが、銀に変わっていました。

家に着いた女の子は、ひしゃくの水をおかあさんにあげました。
「わたしは、もう長く生きられないから、あなたが飲めばいいのよ」
お母さんがそういうと、ひしゃくがその瞬間に、銀から、金に変わりました。

のどがかわいて、とうとうがまんができなくなった女の子が、ひしゃくを口にしようとしたそのとき、ドアが開き、水をくださいという旅人が入ってきました。

女の子は、ぐっとつばを飲み込んで、ひしゃくを旅人にあげました。

すると突然、大きなダイアモンドが7つ、ひしゃくから跳ね上がり、透き通ったきれいな水が絶え間なく流れ出しました。7つのダイアモンドは舞い始め、高く、高く、空まで舞い上がり、おおぐま座(北斗七星)になったのです。

Rochelle S. Townsendの英訳(public domain)をもとに小坂直樹が試みに訳した)

リュックとマスコット
写真は、リビングデイサービスから大槌保育園への手作りクリスマスプレゼント
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