『永遠に渇くことのない水』(チャペルアワーより)

2018.05.06 Sunday

『永遠に渇くことのない水』
イエスが旅の途中で、サマリアの町を通った時のことです。
歩き疲れたイエスが、町はずれの井戸の前に座ると、ちょうどサマリア人の女が、水を汲みにやって来ました。
イエスは女に頼みました。
「わたしにも、水を飲ませてください」
サマリアの女は驚いて聞き返しました。
「あんたはユダヤ人なのに、どうしてサマリア女のわたしに、水を飲ませてなんて言うんだい。
ユダヤ人は、サマリア人に近寄るとけがれると言って、差別するくせに」
そんな嫌味を言いながら水をくれた女にもイエスは感謝し、ゴクゴクと美味しそうに飲み干して言いました。
「この井戸の水を飲む者は、すぐにまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は、永遠に渇くことがない。」
女は町に帰って、サマリア人を差別しないユダヤ人に会ったことに驚いて、みんなに話しました。
町の人たちはイエスを家に泊めて、彼の話を熱心に聞きました。
そうして多くのサマリア人が、自分たちを差別せず、平和と平等を説くイエスの教えに感心して、彼こそが、この世の救い主だと信じたのでした。
(新約聖書ヨハネ福音書4章4節〜15節による創作)

 

『あなたは?』
イエスがサマリアの女に言った『永遠に渇くことのない水』とは、どんなものなのでしょうか。
あなたにも飲むことができるでしょうか。
みんなで考えて、話し合ってみましょう。

 

 

今月の祈り『5月 親切の祈り』

2018.05.01 Tuesday

愛の神様

あなたの助けにより、 今日、十分に働くことができるように させてください。

今日、しなければならないことを、 明日まで、のばすことのないように。

笑顔でしなければならないことを、 不平を言いながらしないように。

人々に最善のことをしなければ、 満足しないようにさせてください。

私たちが、いつでも人々に親切であり、 人々が、私たちといたいと思うように させてください。

今日一日、十分に働き、夕べにあなたから 「よくやった」と言われますように。

あなたの愛により、 この祈りをお聞きください。

(バークレーの祈りより)

『見失った羊』(チャペルアワーより)

2018.04.23 Monday

『見失った羊』
 イエスの話を聞こうと、毎日たくさんの人が集まってきました。
 その中には、重い皮膚病の人や、売春婦、ローマ帝国の手先として働いていた税金の取り立て屋など、世間から忌み嫌われていた人々もいました。
 イエスは、その人たち一人一人に声をかけて、手を取り、時には抱きしめ、共に食事をして、生きる勇気を与えました。
 そのことを知った学者たちは、口々にイエスのことをけなしはじめました。
「こんな、けがらわしい人たちに触れて、食事まで一緒にするなんて、頭がおかしくなったんじゃないか。病気がうつったらどうするんだ。」
 イエスは、学者たちに言いました。
「あなたがたの中で、百匹の羊を飼っている人がいるとします。その中の一匹がいなくなったら、九十九匹を牧場に残しても、見失った一匹を探し回らないでしょうか。
 自分の子供の一人がいなくなったら、どれだけ苦労しても、見つかるまで探し回るのと同じです。
  そして、その子を見つけたら、抱いて帰り食事を与えて、近所の人にこう言うでしょう。
「いなくなった子が見つかったのです。一緒に喜んでください」
 そのように神は、すべての人をわが子として、愛してくださるのです」
(新約聖書ルカ福音書15章1節から7節よる創作)

 

『あなたは?』
よその人で困っている人がいたら、自分の家族のように助けてあげることはできますか。
できないとしたら、その理由は何でしょうか。
素直な気持ちを話し合ってみましょう。

『丈夫な人に医者はいらない』

2018.04.14 Saturday

『丈夫な人に医者はいらない』

イエスが生きていた時代、税金の取り立て屋は、みんなから嫌われていました。
なぜかといえば、決められた税金の額よりも、多くのお金を取り立てて、私腹を肥やす者がいたからです。
取り立て屋のレビは、イエスの教えを信じる正しい人でしたが、いやしい仕事をしている悪い人だと人から思われて、いつも悲しい思いをしていました。
ある日、イエスは街角でレビを見つけて言いました。
「今から、あなたの家に行ってもいいかい」
レビは、うれしくなって近所の人たちみんなに声をかけました。
でも、レビにさそわれて家に来た人といえば、取り立て屋の仲間や遊女たちなど、さげすまれた職業の人たち。そして、目の見えない人や、耳の聞こえない人、口のきけない人など、病気の人たちばかりでした。
その様子をみた学者たちは、イエスに言いました。
「どうしてあなたは、悪い人たちや、きたならしい病気の人と共に食事をするのか。けがらわしい、病気がうつったらどうする」
イエスは、学者たちに言いました。
「丈夫な人に医者はいらない。本当に医者が必要なのは、病気の人です。わたしは、あなたがたが悪人や病人と呼んで、のけ者にしている人たちを救うために来たのです」

(新約聖書マルコ福音書2章14節から17節による創作)


『あなたは?』
病気の人に親切にしてあげることができますか?
反対に、自分が病気になったら、どうしてほしいですか?
みんなで話し合ってみましょう。

『屋根からつるされた男 』(チャペルアワーより)

2018.04.08 Sunday

今週の聖書のお話
『屋根からつるされた男 』

 ある村に、脳卒中の後遺症で、手足が動かなくなった寝たきりの男がいました。

 その男は貧乏な家に生まれて、生きていくために子供の頃から盗みをしていました。

 昔の盗みのバチが当たって歩けなくなったのだと思い込み、リハビリもせず寝たきりの生活を送っていました。

 その頃、イエスが病人を癒やすという噂が広まり、イエスが行く先々には、おおぜいの人々が集まってきました。

 寝たきりの男の友だち4人は、なんとかその男をイエスに治してもらおうと、担架にのせてイエスがいる家まで連れて行きました。ところが、家は玄関まで人がいっぱいで、入ることができません。

 そこで4人は、屋根にのぼって穴を開けて、寝たきりの男を担架ごとイエスの前につり下げました。

 イエスは、寝たきりの男を見つめて言いました。

「安心しなさい。あなたがとらわれている昔の罪は、ゆるされたのです」

 それを聞いた寝たきりの男は、長年の思いわずらいが吹っ切れて、急に体が軽くなったと思うや、その場で立ち上がり、歩いて帰って行ったのでした。
(新約聖書マルコ福音書2章1節から12節による創作)

 

『あなたは?』

やればできるのに、何かのせいにして、自分にはできないと思い込んでいることはないでしょうか。

まわりの人を見て、そう思ったことはありませんか。

みんなで、自分の体験から話し合ってみましょう。

今月の祈り『4月 恵みの祈り』

2018.04.01 Sunday

恵み深い神様
あなたの助けにより、
自分にしてもらいたいと思うことを、
人にもすることができるようにさせてください
自分が苦しいとき、
人から助けてもらいたいと思います。
自分が間違ったことをしたとき、
人からゆるしてもらいたいと思います。
自分が悲しんでいるときには、
人からなぐさめてほしいと思います。
自分の思いを、尊重してもらいたいと思います。
そのように、私たちが、他の人の思いで考え、
他の人の心で感じ、他の人を思いやり、
どんな人にも、親切にできる人になれますように
あなたの愛によってお願いします。
(バークレーの祈りより)

『天使の池で』(チャペルアワーより)

2018.03.31 Saturday

『天使の池で』
 昔、エルサレムの町に、『天使の池』と呼ばれる池がありました。ときどき、目には見えない天使が現れて水面を動かします。その時、一番に池に入った人は、病気がいやされると信じられていました。
 池の回りには、おおぜいの病人や、目の見えない人、体の麻痺した人などが横たわって、池の水が動くのを待っていました。
 その池の前を、イエスが通った時のことです。 池の回りで一番みすぼらしい姿をしている男に、イエスは声をかけました。
「健康になりたいのですか?」
 その男は、泣きながら答えました。
「わたしは38年も病気で寝ています。でも、水が動いた時に、誰もわたしを池に運んでくれません。いつも、ほかの誰かが先に水に入っているのです」
 それを聞いたイエスは、腰の手ぬぐいを池の水にひたすと、アカだらけの男の頭からつま先まで丁寧に拭きはじめました。男は別人のように、きれいになっていきます。
 それからパンをさいて、二人でおなか一杯になるまで食べました。泥だらけの男の泣き顔が、ピカピカの笑顔に変わりました。
「自分の力で、立ってごらんなさい」
 イエスがそう言うと、男はすっと立ち上がり、床に敷いていた布をかついで、大喜びで歩き出したのでした。
(新約聖書ヨハネ福音書5章1節〜9節による創作)
 
『あなたは?』
自分にはできないと、思い込んでいたことが、人のはげましや、アドバイスによって、できるようになったことはないでしょうか。
今身近で困っている人を思い浮かべて、どんな言葉をかけたら、元気になってもらえるか、みんなで、考えてみましょう。

十字架のイエス(チャペルアワーより)

2018.03.26 Monday


『十字架のイエス』
 敵に捕らえられ、代官屋敷に連れてこられた、イエスの取り調べがはじまりました。しかし、イエスには、何の罪もみつかりませんでした。
 代官は、イエスを釈放したらどうかと、まわりの人に尋ねました。
 すると、イエスをねたんでいた敵たちが、ものすごい勢いで怒り出しました。
「イエスを十字架につけろ。十字架につけろ!」そう言って、大声で叫び続ける人たちに、驚いた代官は
「これは、わたしの責任ではない。お前たちの責任で、十字架につけよ」と命令しました。
 イエスは十字架をかつがされ、されこうべの丘まで歩きました。そして丘の上で、手足を十字架に打ちつけられたのです。
 みはりの役人たちは、イエスをなぐる、けるして、イエスの顔に、つばをはいてこう言いました。
「多くの人を救った、イエスよ。お前がほんとうに神の子なら、自分自身を救ってみろ」
 そして、イエスの服をさいて奪いあいました。
 いばらのかんむりをかぶせられて、体じゅう血まみれの十字架のイエスが、彼らを見て言いました。
「神よ、この人たちをお許しください。彼らは自分が何をしているのか、わからないのです」
 十字架のそばでは、イエスの母マリアと、イエスの教えを受けたマグダラのマリアたち数人の女が、気絶しそうになりながら、イエスを見守っていました。
 十字架の上のイエスは「成しとげられた」と言うと、頭をたれて、その魂は天に召されました。
(新約聖書ルカ福音書22章63節から23章49節、ヨハネ福音書19章30節による創作)

『あなたは?』

「成しとげられた」というイエスの最期の言葉は、どういう意味だと思いますか。
 あなたは自分にひどいことをする人を、許すことができますか。
 イエスは、どうして、自分を侮辱し、自分のものを盗み、自分に暴力を振るい、自分を殺そうとする人たちを、許すことができたのでしょうか。みんなで考えてみましょう。

イエスを三度知らないと言う(チャペルアワーより)

2018.03.19 Monday


『イエスを三度知らないと言う』

 イエスが敵につかまりそうになって、その場から逃げ出した弟子のペテロでしたが、やはり、イエスのことが気になりました。勇気をふりしぼって、敵のあとをつけていきました。
 イエスは、代官屋敷に連れて行かれました。屋敷の中庭では、たき火にあたっている人たちがいました。
 ペテロも、寒さにがまんできなくなり、たき火にあたって暖まっていると、女が近づいてきて言いました。
「あんた、さっきまで、ナザレのイエスと一緒にいた人でしょう。わたしは、あんたに、耳を切られた男の身内だから、よくわかるんだよ」
「イエスなど知るもんか。お前の言っている意味が、まったくわからない」
 ペテロは、とぼけて通路の方に逃げていきました。するとニワトリが鳴きました。
 女は、ペテロを追いかけて「この男は、イエスの仲間だ」と言いつづけました。
 ペテロは「イエスなんて人は知らない」と言って、逃げ回りました。
「こいつは、イエスと同じ、ガリラヤなまりの言葉で話しているぞ。仲間に違いない」
 まわりの人たちも、みんな、そう言いだしました。
「あんたらが言っている、イエスのことなど、絶対に知らない」
 ペテロが、そう誓いをたてると、二度目にニワトリが鳴きました。
 そして、屋敷の中にとらわれていたイエスが、振り返ってペテロを見ました。
 そのときペテロは、「ニワトリが二度鳴く前に、三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言ったのを思い出してがく然とし、その場にくずれ落ちて、泣いたのでした。
(新約聖書マルコ福音書14章66節から72節による創作)

『あなたは?』
目の前に困っている人がいるのに、見て見ぬ振りをしたことはないでしょうか。
そのとき、どうして、助けることができなかったのでしょうか。
それぞれの体験を、みんなで話し合ってみましょう。

剣を持つ者は、剣で滅ぶ(チャペルアワーより)

2018.03.10 Saturday

『剣を持つものは、剣でほろぶ』
その夜、オリーブ山のふもとにいた、イエスと弟子たちのところに、剣や棒を持った大勢の兵隊たちが、たいまつで暗やみを照らしながら、押し寄せてきました。
兵隊を案内したのは、イエスを裏切った弟子、ユダでした。
イエスは、兵の前に進み出て言いました。
「だれを、探しているのですか」
「ナザレのイエスは、どこだ」と敵が言うと、
「それは、わたしです。わたしを、探しているのなら、弟子たちは去らせなさい」
とイエスは言いました。
そのときのイエスの態度は、敵をひとつも恐れない、正々堂々としたものでした。
何人かの敵は、こわくなってあとずさりし、地面に倒れてしまったぐらいです。
敵のひるんだ様子を見た弟子のペテロは、ここぞとばかりに、剣で兵に切りかかり、片方の耳を切り落としました。
イエスは、ペテロを止めて言いました。
「剣をさやにおさめなさい。剣を持つものは、みな、剣でほろぶのです。」
剣で戦ってはいけないと言われた弟子たちは、もう、自分たちに勝ち目はないと思い、怖くなって、イエスを見捨てて逃げ出してしまいました。
(新約聖書ヨハネ福音書18章1節から11節による創作)

 

『あなたは?』
自分に嫌なことをしてくる人はいませんか。
嫌なことをされても、我慢できますか。
やりかえさないと気がすまない相手はいませんか。
どうしたら、我慢することができるでしょうか。
みんなの話しを聞いて、自分の考えとくらべてみましょう。

続きを読む >>